我らが早稲田大学の創立者といえば、大隈重信!


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大隈侯は佐賀出身。
今回は「祭」特集ということで、彼のゆかりの地・佐賀県のお祭りの魅力に迫る第一弾!
伊万里トンテントン についてご紹介します!!

もくじ

  1. 伊万里トンテントンのいろは
  2. 伝統的図像の意味
  3. 祭への情熱

1.伊万里トンテントンのいろは

「伊万里トンテントン」とはなんぞや

伊万里トンテントン(伊万里供日=いまりくんち)とは、日本三大喧嘩祭のひとつと言われています。

「喧嘩祭り」ー… そう、その名の通り、九州男児の誇る、かなり激しい祭なのです!!!

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[1] なりたち
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遡ること数百年、この地域では、
五穀豊穣を祈願する香橘(こうきつ)神社と、大漁を祈願する戸渡嶋(ととしま)神社 が祭礼争いをしていました。

というのも、1829(文政12)年に、当地のお代官様より、祭礼日を統一するお触れが出されたため、両神社の火種となりました。
その後奉納合戦へと発展し、1962年(昭和32)年に両神社が伊萬里神社(いまりじんじゃ)として合祀され、ルールの変遷を経て今に至ります。

現在では、両陣営が激しくぶつかり、香橘神社が勝てば豊穣🌾、戸渡嶋神社が勝てば豊漁🎣と伝えられています。

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[2] 両陣営について
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祭りでは、先述した旧香橘神社と旧戸渡嶋神社の陣営に分かれ、激しくぶつかり合います。
その迫力こそ九州男児の心意気そのもの。

それぞれを代表するものにも違いがあります。


香橘神社
  • 荒神輿(あらみこし)
  • 橘紋(旧伊萬里神社紋)
  • 「チョーサンヤ(=朝廷に参ず)」「キーワエンカ(=こっちへ来てみろ)」の掛け声
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©️伊萬里神社御神幸祭実行委員会                   
戸渡嶋神社
  • 団車(だんじり)
  • 十二日足紋(旧戸渡嶋神社紋)
  • 「アラヨーイトナ」の掛け声
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©️伊萬里神社御神幸祭実行委員会

五色の布団が目を引く戸渡嶋神社の団車。
これは陰陽五行説にちなみ、上から空、風、火、水、土と表しています。
日本では中世以来、記紀の神話を五行説で解釈する動きがあり、それぞれに自然の神々が宿っていると考えられています。


これらの荒神輿や団車が、太鼓の音や掛け声とともに出番町を練り歩きます。
巡幸し、両者が組み合うのですが、その際の太鼓の音「トン!テン!トン!」がお祭りの名前の由来です!

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©️伊萬里神社御神幸祭実行委員会

巡幸は、荒神輿が先導し団車が追います。

荒神輿「チョーサンヤ(朝廷に参ずる)!!」
団車 「アラヨーイトナ!!」
荒神輿「キーワエンカ(来れんのか)!!」
団車 「まだまだ!!」

そして、「カーマエロ!!」の声で双方が激しくぶつかりあいます。
まさに祭の華、九州男児の情熱うずまく、圧巻の戦いです!!!
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©️伊萬里神社御神幸祭実行委員会

組み合った双方は、そのまま伊万里川になだれ落ちます。この勢いには息を飲みます。

ここから、荒神輿が先に引き上げられたら香橘神社側の勝利、すなわち豊穣のしるしです。

一方、団車が早く引き上げられたら、戸渡嶋神社側の勝利、すなわち豊漁になると伝えられています。

2. 伝統的図像に込められた意味

1章の写真の中の方々が身に纏う法被(はっぴ)は、よく見ると色々な図像が入っています!


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[1] 出番町ごとの文様
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団車や荒神輿は、4地区の出番町ごとに担がれ、それぞれの地区で羽織る法被も文様が異なります。

東組:青海波紋…大海原の波のように穏やかな暮らしを願います。

西組:青海波霞紋…漂う霞は、よく様々な吉兆文様と合わせて用いられます。絵巻物では事柄の転換を表します。

南組:吉原繋紋…連続的につながれた鎖のような文様は、人と人を結ぶ良縁を連想させ、豊かな人間関係や強固な絆を表します。

北組:鱗紋...子孫繁栄を願う紋です。北条氏の家紋として『太平記』にも記述があります。

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※はっぴと同様の色ではありません。


このように、法被の文様は地区ごとに異なるのですが、以下の2つの紋は共通しています。

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[2] 神社の紋
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▼橘紋(旧香橘神社紋)

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紋とは、古来より日本で代々定め伝えられてきた、家や氏族などを象徴する図像です。
その数なんと2万5千以上とも言われています!
こちらの紋は を模しています。

第11代垂仁天皇の御代に、天皇の使いである田道間守(たじまもり)が、不老長寿の妙薬と称された「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)」、すなわち橘を植えたのがはじまりであり、平安時代に貴族の 橘 島田麻呂(たちばな の しまだまろ)が、同族の始祖である橘諸兄を祀りました。橘家の家紋にも、このような図像が見られます。

また、最高級の菓子とされた橘を常世の国から持ち帰った田道間守は菓祖神とされたほか、伊万里出身で森永製菓の創立者・森永太一郎の銅像もあり、お菓子に縁の深い神社です。

▼十二日足紋(旧戸渡嶋神社紋)

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中央の丸は太陽を象っており、外に広がりゆくのは日足(ひあし)、すなわち光芒(=太陽の光の筋)です。
神道において、古来より太陽は天照大神として信仰・崇拝の対象とされました。元来、皇室の御紋章であった日月紋にも表れています。

この紋を持っていた旧戸渡嶋神社は、玄界灘で遭難した足利尊氏の船を暴風から救った神が祀られた神社です。

一方、旧香橘神社と深い関係のある橘家の末裔に、戦国武将の楠木正成がいます。

ここから、南北朝の文脈がなぞられて、両陣営が激しくぶつかる伊万里トンテントンの源流となりました!


3. 祭への情熱

毎年10月に行われる伊万里トンテントン。
2020年度はコロナウイルスの影響で、前年ながら合戦は中止、神事のみとなってしまいましたが、
実行委員会の百武様は「来年こそは、五穀豊穣、疫病退散を願い、勇壮な合戦を奉納したい」という熱いお気持ちを語ってくださいました。
また、地元、伊万里の伝統行事の保存、伝承を続けていきたいとの声もお寄せいただきました。

今年は早稲田祭もオフラインでの開催は叶いませんでしたが、同じく伝統の保存を願い、そのために進化し続けていきたいと思います!
新時代の早稲田祭、最後まで全力で楽しんでいきましょう!!!

———————————-special thanks————————————
・伊萬里神社御神幸祭実行委員会 百武様
・一般社団法人 佐賀県観光連盟
—–多大なるご尽力をいただきました。心より感謝申し上げます。——